真田十万石の城下町
元和八年(1622)初代藩主・真田信之が上田から移封されて以来、松代は文化の先進地であり、
幕末に勤王松代藩としての遺風は今でも脈々として伝えられています。
当八田家は、甲斐の国の豪族でしたが、武田家滅亡の際、家を分け武田家に仕えていた真田氏と共に信州に来ました。
それ以来、松代寺町で酒造業を営み、藩の御用商人として真田家十代の藩主に仕えますが、
廃藩を迎え、その後の度重なる松代大火に遭い現在の地に移りました。
この場所は新御殿(真田邸)に面した恩田家の屋敷跡であり、この建物の一部が160年前のものと伝えられています。
また、真田家六代幸弘の頃、恩田杢民親(おんだもくたみちか)の行った奇跡的な藩政改革は『日暮し硯』で世に知られています。
当家の近くには筆頭家老矢沢家があり、その表門は文化財に指定されており、恩田・矢沢両家は当八田家と婚姻関係にあり、現在に至っています。
また、電信実験・砲術指南等を行い、幕末の勤王論者として著名な佐久間象山は当家との親交が深くその遺品として幟が残っています。
このたび1988年(昭和63年)4月24日お休み所『日暮し庵」を開店するにあたり
恩田杢民親の『日暮し硯』にちなみ、「日暮し庵」と名づけました。